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第0228話 鵠沼文化人百選 その018 林 達夫

 鵠沼文化人を一人だけ選ぶとしたら、私は林 達夫を挙げたい。

プロフィール

  林 達夫(はやし たつお 1896-1984)は思想評論家・翻訳家・大学教授・編集者
 外交官の長男として東京に生まれ、幼時の4年間をアメリカのシアトルに過ごした。京都府立一中、第一高等学校を経て京都帝国大学哲学科で美学および美術史を専攻し1922年卒業後、東洋大学、津田英学塾、法政大学、立教大学の教壇に立つ一方、『思想』の編集に従う。戦前の主な仕事は文芸復興期の研究と翻訳で、翻訳文学の最高の水準を示す。戦後の大きな仕事は、1951-58年平凡社の『世界大百科事典』の編集である。1972年まで明治大学の教壇に立ち、蔵書は同大学に寄贈された。1964(昭和59)年4月25鵠沼で没した。享年:88 墓所:大庭台墓園

鵠沼とのゆかり

  1922年、髙瀬 芳(彌一の末妹)と結婚し、四軒別荘(鵠沼松が岡3-8)の北から3軒目を借りて新居を構える。ここが翌年の大震災で倒壊したため、川袋髙瀬邸の離れに住む。1937(昭和12)年末、鵠沼上岡6098(鵠沼桜が岡2-1-29)に古英国風田舎家を新築。その後この住居を離れたのは、晩年の短いヨーロッパ旅行(1971-72)だけであった。
 戦争末期に鵠沼在住の知識人に呼びかけ、提供された蔵書で「湘南文庫」という貸本屋を2か所で開いたり、湘南学園を借りて「鵠沼夏期自由大学」を開き、鎌倉アカデミアにも協力するなど、戦後の混乱期に新しい自由な市民文化構築に力を尽くした。「湘南文庫」と「鵠沼夏期自由大学」については、それぞれ別項を立てる。

林 達夫 鵠沼関係年譜
    
西暦 和暦 記                        事
1921 大正10 8 17 ~8.31、思想評論家=林 達夫(1896-1984)、鵠沼川袋の高瀬邸に滞在
1922 大正11 5 21 林 達夫、鵠沼四軒別荘の北から3軒目に居住
1922 大正11 9 26 髙瀨彌一の末妹=高瀬 芳と結婚。松が岡四軒別荘の北から3軒目に新居を構える
1923 大正12 9 1 震災で自宅全壊→三輪博士(千葉医事校長)宅に身を寄せ、鵠沼川袋の高瀬邸へ避難
1925 大正14     鵠沼川袋の高瀬邸の離れに滞在
1925 大正14 5 9 長男=巳奈夫(1925年5月9日-2006年1月1日)、誕生
1927 昭和 2     次男=林杲之介、誕生
1937 昭和12   鵠沼上岡6098(鵠沼桜が岡)に古英国風田舎家を新築
1938 昭和13 10   婦人公論10月号に『私の家』掲載。鵠沼上岡の自宅を紹介
1939 昭和14 8   雑誌「スタイル」昭和14年8月号に館 真氏が「林達夫のお住い拝見」を掲載
1945 昭和20 8 19 林 達夫ら、本鵠沼金田邸と鵠沼海岸駅前に文化人の書籍提供で貸本屋「湘南文庫」開設
1946 昭和21 7 21 林 達夫ら、湘南学園の夏期休暇を利用し、市民向け教養講座「鵠沼夏期自由大学」を開催
1984 昭和59 4 25 林 達夫(1896.11.20-1984)、鵠沼桜が岡2-1-26の自宅で没
1984 昭和59 9 14 林 達夫、福田清人、布川角左衛門/編著『第一書房 長谷川巳之吉』 、刊行
2006 平成18 1 1 京都大名誉教授=林巳奈夫(1925-2006、鵠沼桜が岡2-1-26)、急性心不全で没。享年80
2010 平成22 3 26 鵠沼を語る会、有志が林達夫邸を見学
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:『鵠沼ゆかりの文化人』(2007)
 
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