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第0217話 鵠沼文化人百選 その017 江口 渙

プロフィール

  江口 渙(えぐち かん 1887(明治20)年7月20日-1975(昭和50)年1月18日)は小説家、児童文学者、歌人、評論家
 1912(明治45)年文壇処女作「かかり船」を発表、耽美派作家として出発した。しかし、次第に社会主義への関心を強め、社会主義作家として数多くの作品を書いた。1920(大正9)年日本社会主義同盟中央執行委員に選ばれ、1929(昭和4)年日本プロレタリア作家同盟に参加し翌年中央委員長に就任した。1937(昭和12)年治安維持法違反で逮捕された。
 戦後の作品には1948~49(昭和23~24)年に発表された「花嫁と馬一匹」自伝的回想録「わが文学半生記」正・続等がある。
 歌人としては、1970(昭和45)年刊行の歌集「わけしいのちの歌」が第二回多喜二・百合子賞を受賞した。

鵠沼とのゆかり

 鵠沼に移住したのは1921(大正10)年で、東屋に近い中屋の貸家(江戸屋=鵠沼海岸2-5-2)で、鵠沼に来た友人の宇野浩二や大杉栄らの思い出が『続わが文学半生記』の中に書かれている。
 借家争議の応援を労働運動社に依頼し、村木源次郎からアナキストの中浜鉄と古田大二郎を紹介され居候させる。
 9月、結婚相手の少女小説作家=北川千代と別れ、元小学校教師の相馬 孝と那須温泉に行き、旅館小松屋で静養と執筆、栃木県で相馬 孝と結婚する。
 鵠沼の貸家にいた古田は、監視していた警察から家賃棒引き、引っ越し費用警察持ちで明け渡すことを持ちかけられ、承諾して鵠沼を去った。
 この間の事情については、高木和男氏が『鵠沼海岸百年の歴史』に書いておられるので、引用する。

 「この頃、大杉栄の子分どもが、いろいろ徒らをして困る。たとえば街路灯の電球に石をぶつけるとか、別荘にいやがらせをするとかということが、子供の私の耳にも入って来て、社会主義者というものは困ったやつらだという話になっていた。こんなことを鵠沼の記に書く気はなかったのだが、たまたま、この事が江口渙の「続、わが文学半生記」に出てくるから、書くことにしたのである。江口渙も大正十一年頃鵠沼海岸に居住した人物のようである。同書(春陽堂書店発行)の五九ページに次の文章がある「私の留守中に北川千代は八百屋、米屋、サカナ屋など二ヶ月も払わなかったし、家賃も七月、八月と払わなかった。それで五十日目に鵠沼にかえってきた私は、長年の家庭争議を片付けるか片付けないうちに、早くも借家争議に見まわれることになった。私の家の家主は鵠沼でも有名な悪家主だった。家主の家には、二十三、四になるぽってりした色白の肉感的な娘がいる。ひどいうそつきなので女天一坊という名がついている。
 家主の家はすぐとなりだった。だからその女天一坊が赤ん坊をしょって、毎日、家賃のさいそくにやってくるのだ……」
 これで江口渙のいた家もはっきりわかる。山口屋の裏にあった借屋にいたのだ(今の鈴木屋の裏の小路を隔てたところ)。山口屋の天一坊は私は会ったことはないが、有名で、山口屋の借屋に避暑に来ていた大阪の良家の息子と交渉をもったのだが、その後、妊娠して、その子が、その息子の子供であるとして、息子の両親も来て大騒ぎになったというのだ。その赤ん坊が息子に似ているとかなんとか、大変なことだったと大きなうわさになっていた。背おっていた赤ん坊とは、この子のことであろう。江口渙はこの事は知らなかったらしい。
 ところで、同書の一〇六ページには、この借家騒動で、江口渙は知人のアナキストを呼び集めて、天一坊に対抗させたらしい。その連中がひまにまかせて、方々いたずらして歩いたようだ。そして最後に、どこかの別荘の土堤の芝草に火をつけて、危うく檜皮ぶきのしゃれた門を焼くところだったという。それで、警察が中に入って、アナキストにお引き取り願うということになって、女天一坊とアナキストの間に話がついたというのである。家賃の棒引き、若干の立退き料をとったという。女天一坊の負けであった。夏の高い家賃のとれるときに、家賃棒引きでは、山口屋は大損であったろう。どうもこの頃から山口屋は傾いて来たようだ。大杉栄の子分のいたずらというのは、実は江口渙が借家騒動の交渉に集めた連中のいたずらだったわけであった。」

江口 渙 鵠沼関係年表
    
西暦 和暦 記                        事
1921 大正10 4   小説家=宇野浩二(1891-1961)、東屋に数日滞在。江口 渙の訪問を受ける
1921 大正10 10   江口、宇野浩二を追って東屋にくる
1921 大正10 12 26 小説家=江口 渙(1887-1975)、下谷区上野桜木町から鵠沼海岸の借家に転居
1922 大正11 9 25 アナキスト=古田大次郎・中浜 鉄、江口宅を訪問。3か月滞在
1922 大正11 9   江口 渙、作家=北川千代との結婚生活が破局、借家を古田・中浜に預け相馬孝と出奔
1922 大正11 10 江口の借家を預かっていた古田大次郎を大杉 榮・村木源次郎らが訪問
1922 大正11 10 江口の借家を預かっていた中浜 鉄、千住に転居
1923 大正12 1   江口の借家は家賃棒引き、引っ越し費用警察持ちで明け渡すことを承諾
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:『鵠沼ゆかりの文化人』(2007)
  • 高木和男:『鵠沼海岸百年の歴史』(1981)
 
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