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第0177話 鵠沼文化人百選 その004 今井達夫

プロフィール

 大学在学中、同人雑誌「橡」に戯曲を発表した。その後、辻潤らのダダイズムに接近した。博文館、時事新報社を経て文筆活動に入る。
 1936(昭和11)年に5ケ月間、小説「青い鳥を探す法」を「三田文学」に連載し、同作品で第二回三田文学賞を受賞した。そのほかに、中間小説の長編・短編集50冊と評伝『水上滝太郎』などがある。

鵠沼とのゆかり

 横浜生まれだが、幼年期のほとんど毎夏、鵠沼で過ごし、1912(大正元)年秋から関東大震災の12年間、1942(昭和17)年から2年半と、一時妻の実家の福島へ疎開したが、戦後、1947(昭和22)年より1978(昭和53)年没するまで、鵠沼海岸の数か所に転居し、最後は松が岡3-14-9に家を建てて住んだ。
 1951(昭和26)年には、鵠沼在住の作家、画家、俳優、ジャーナリスト等で「すわん會」を結成して、20年以上にわたって懇談交流の場を主催した。また、鵠沼を訪れた文人たちとの交流を書いたもので、「鵠沼にゐた文人」「鵠沼物語序説」などがある。

今井達夫鵠沼関係略年譜
    
西暦 和暦 記                        事
1904 明治37 3 3 今井達夫、父今井秀松・母きみの長男として横浜市中区野毛に生まれる
        父は山形県西村山郡朝日町出身。横浜で兄弟生糸商を営む
        母は山形県東村山郡山辺町の生まれ。安達峰一郎(国際司法裁判所所長)の妹
1909 明治42   今井達夫(5歳)、父親の療養のため、両親と共に鵠沼「東屋旅館」の貸別荘で過ごす
1910 明治43 4   横浜市尋常小学校に入学
1912 大正 1   父親の療養のため、横浜・野毛から鵠沼に転居。尋常高等鵠沼小学校尋常科3年に転入
1912 大正 1     父秀松、死去
1916 大正 5 3   鵠沼尋常小学校を卒業
1916 大正 5 4 1 財団法人私立藤嶺中学校、開校。1期生として入学
1920 大正 9 4   藤嶺中学を4年で卒業し、慶應義塾大学文学部予科に入学。渋谷常磐松の祖母しう宅に下宿
        大学在学中、同人雑誌「橡」に戯曲を発表する。その後、辻潤らのダダイズムに接近した
1922 大正11     処女詩集『心の風景』を大雲堂書店より刊行
1923 大正12 9 1 東京で関東大震災に遭遇、3日がかりで鵠沼の自宅に戻る。鵠沼で震災後始末の活動に従事
1923 大正12     鵠沼の家は倒壊したので、鶴見の親戚の別荘の離れに仮住まい
1924 大正13     東京・南馬込2-26-30に住み、その間馬込文士村の一員として各界名士と交流した
1926 大正15     慶應義塾大学を中退、文筆活動に入る。博文館に入社。その後時事新報社に移る
1930 昭和 5 11   腰越に住む山本周五郎(27歳)との交友が始まる
1931 昭和 6   尾崎士郎夫妻と今井達夫と三人で遊行寺の塔頭眞徳寺(赤門)の吉川和尚を訪ね一泊する
1935 昭和10 2 14 ~18、報知新聞に『鵠沼にいた文人』と題して5回連載
1939 昭和14     クニ夫人(福島市の医師の息女)と結婚
1941 昭和16     この頃馬込の自宅の2階に尾崎士郎・古賀清子が同棲していた
1942 昭和17   東京都大田区南馬込2-3-5から鵠沼海岸3-10「新風荘」に転入
1945 昭和20     「新風荘」が日本精工の寮に転用のため、妻の実家の福島市北町へ疎開
1945 昭和20     終戦直後、福島県文芸家協会を設立。福島県内各地で文化講演会を開催
1946 昭和21     大森の妹の家に寓居
1947 昭和22     大森より鵠沼海岸3-10加藤産婦人科の2階を間借りして転入
1947 昭和22     鵠沼海岸3-8安岡章太郎の父の家の離れに転居
1951 昭和26     鵠沼下岡6708(鵠沼松が岡3-14)に新築し、転居
1954 昭和29 6   今井達夫・寺崎浩ら湘南在住の文化人を中心に「すわん會」を結成。丸政で第1回会合
1972 昭和47 8   『昔の鵠沼抄』を「文芸広場」20号に発表[原稿は東京都近代文学博物館]
1978 昭和53 5 6 鵠沼松が岡3-14にて没。享年74。墓所は眞徳寺(時宗 遊行寺塔頭 神奈川県藤沢市西富)
1978 昭和53 5   雑誌山紫水明5月号に『鵠沼物語序説』を掲載
1989 平成元 9 11 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』50号刊行(鵠沼物語(震災編抜粋):今井達夫)
1990 平成 2 1 9 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』51号刊行(よかったなあ、あの時代は:今井達夫)
1996 平成 8 3 26 遺構『私の寺子屋』「藤沢市教育史研究」5 教育文化センター
2004 平成16 3 8 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』別冊『今井達夫著作品復刻号』刊行
2007 平成19 3 31 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』94号刊行(今井達夫遺稿① 『遺言書』)以後適宜掲載
2010 平成22 8 6 鵠沼を語る会、今井達夫遺稿の自筆原稿などを神奈川近代文学館(横浜)に寄贈
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:会誌『鵠沼』別冊『今井達夫著作品復刻号』(2004)
  • 鵠沼を語る会:『鵠沼ゆかりの文化人』(2007)
 
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