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對江館→中屋旅館1910(明治43)年頃、 田中 安・カネ夫妻が對江館を買い取り、「中屋」と名を変えて営業することになった。中屋旅館は、現在のマリンロードになる道路(その頃はぼちぼち店舗が並ぶようになっていたが、まだ商店街と呼べるようなものではなかったらしい)に面して入口があり、東屋に比べると小規模な旅館だったようだ。南側にかなり広い敷地があり、6軒ほどの貸家が並んでいた。旅館と貸家の間にはクロマツがまばらに生えた空き地があり、共同井戸が設けられていたという。 こぢんまりした静かな旅館だったので、吉屋信子などは東屋より中屋を愛用したようだ。 中屋の貸別荘を借りた著名人としては、
1941(昭和16)年に女将のカネが死去したことにより、旅館の営業は閉じられたと思われるが、建物はそのまま残り、二男の上村元嗣一家が住んでいたという。 元嗣の子=上村安一郎は横浜で著名な精神科医。1974(昭和49)年8月5日に中屋跡に特養老人ホーム「上村鵠 生園」を開設した。「上村鵠 生園」については別項を立てる。 田中 安・カネ田中 安(たなか やす 1851.12-?) 田中倉吉の長男。東京市四谷区北伊賀町4丁目に住み、鵠沼別荘前の鵠沼海岸2-6對江館(待潮館)を購入、中屋旅館として営業。土地を広く購入して貸店舗・貸別荘・貸家を手広く経営。後に石 油元売り田安商事鰍創業。
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