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第0172話 中屋旅館

對江館→中屋旅館

 1910(明治43)年頃、 田中 安・カネ夫妻が對江館を買い取り、「中屋」と名を変えて営業することになった。
 中屋旅館は、現在のマリンロードになる道路(その頃はぼちぼち店舗が並ぶようになっていたが、まだ商店街と呼べるようなものではなかったらしい)に面して入口があり、東屋に比べると小規模な旅館だったようだ。南側にかなり広い敷地があり、6軒ほどの貸家が並んでいた。旅館と貸家の間にはクロマツがまばらに生えた空き地があり、共同井戸が設けられていたという。
 こぢんまりした静かな旅館だったので、吉屋信子などは東屋より中屋を愛用したようだ。
 中屋の貸別荘を借りた著名人としては、
  • 劇作家・小説家・演出家=伊藤松雄(1895-1947)
  • 小説家=島田清次郎(1899-1930)
  • 画家=横堀角次郎(1897-1978)
らが知られている。小説家=江口 渙(1887-1975)が1921(大正10)年から翌年にかけて借りた貸家というのも、中屋の貸別荘だった可能性がある。
 1941(昭和16)年に女将のカネが死去したことにより、旅館の営業は閉じられたと思われるが、建物はそのまま残り、二男の上村元嗣一家が住んでいたという。
 元嗣の子=上村安一郎は横浜で著名な精神科医。1974(昭和49)年8月5日に中屋跡に特養老人ホーム「上村鵠 生園」を開設した。「上村鵠 生園」については別項を立てる。

田中 安・カネ

 田中 安(たなか やす 1851.12-?) 田中倉吉の長男。東京市四谷区北伊賀町4丁目に住み、鵠沼別荘前の鵠沼海岸2-6對江館(待潮館)を購入、中屋旅館として営業。土地を広く購入して貸店舗・貸別荘・貸家を手広く経営。後に石 油元売り田安商事鰍創業。
        田中家の系図

                         ┌ 石黒 貞治――石黒 吉太郎
            ┌(長女)イト(眼科医石黒┤
            │            └ 石黒 義雄―――石黒 栄一
            │
            │            ┌(長女)元子(陸軍主計大村家
            │            │      に嫁ぐ、夫の没後
            │            │      田中姓にもどる)
            ├(長男)耕太郎―――――┤      (1912〜)
            │  (1882〜1955)    ├(長男)耕一―(誠一、広美)
            │(妻トメ)       ├(次女)喜久子
田中安        ┐│            ├(三女)八重子
(旧姓木村1851〜1934)├┤            ├(四女)邦子
妻 カネ       ┘│            ├(次男)耕二
(旧姓山下1861〜1941) │            ├(五女)俊子
(田中安商店を営む)  │            └(六女)英子
(東京・四谷・北伊賀町)│
            ├(次男)元嗣(上村家をつぐ、長男上村安一郎、精神科医、
            │                水野家の長女
            │                久枝と従兄同士の結婚)
            │(四女)好子(水野家に嫁ぐ、長女久枝、上村安一郎と
            │                       結婚)
            │
            │            ┌(長男)寛一
            │            ├(次男)兼二
            └(三男)寛(横瀬家を ┐├(三男)俊三
                  つぐ、1897〜?)├┤
              (妻 フジ)(1907〜) ┘├(四男)篤
                         └(女)明子(佐々木信也に嫁ぐ)

中屋年表
    
西暦 和暦 記                        事
1910 明治43   田中 安・カネ、對江館を買い取り、「中屋」と名を変えて営業
1920 大正 9 4 劇作家・小説家・演出家=伊藤松雄(1895-1947)、鵠沼海岸の中屋貸し別荘三号に仮寓
1920 大正 9 9 1 〜1921/1、小説家=島田清次郎(1899-1930)、中屋の貸し別荘に滞在
1920 大正 9   小説家=吉屋信子(1896-1973)、中屋に滞在。『海の極みまで』執筆
1921 大正10   吉屋信子、中屋で朝日新聞連載小説(7/10〜12/30)『海の極みまで』を執筆
1921 大正10 9   画家=横堀角次郎(1897-1978)、品川区上大崎より中屋の貸し別荘に転居。岸田劉生と親交
1922 大正11 6   画家=横堀角次郎、中屋の貸し別荘から出て中屋の2階に間借り
1923 大正12 9 1 大正関東地震で中屋倒壊
1924 大正13     中屋、再建して営業
1941 昭和16     女将=田中カネ、没
        その後中屋には病気療養に来ていた次男元嗣の継いだ上村の一家が居住
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鈴木三男吉・有田 裕一:「中屋という旅館について」『鵠沼』第77号(1998)
 
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