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原集落原は、小字の原を中心に、下ノ沢の東部にまたがる面積的には最大の集落だった。現在の原町内会は小田急線の東部までを含み、堀川郷友会と並ぶ大町内会である。ことに小田急線開通によって本鵠沼駅が開設されたため、駅前商店街を含むようになり、地域的な性格に複雑さを増した。さらに、鵠沼新道(市道鵠沼海岸線)開通により、旧集落は二分されることになるが、モータリゼーションの進行により、新たな性格が加わっている。原の明治初期の戸数は39戸であったが、姓別では森井9戸、渡邊6戸、林5戸、淺場4戸、小林・榛葉各3戸、齋藤・橋本・山口各2戸、淺間・關根・葉山各1戸と、かなりまとまっている。鵠沼一の豪農淺場太郎右衛門が最大で、後に商店や藷問屋・網元になる家もあった。 原の人形山車原は、祭礼の人形山車参進では八番山車を務める。人形の日本武尊は右手に草薙の剣の柄を握った立姿で、左手は何も持たない。背に剣の鞘を負う。 原の人形山車の概要をまとめてみると、次のようなものである。
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