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對江館鵠沼「對江館鵠沼」とは1890(明治23)年(1889(明治22)年という説もある)から1910(明治43)年までの約20年間、鵠沼海岸二丁目で営業していたリゾート旅館である。経営者は井上大次郎と伝えられるが、いかなる人物であるかは調べが付いていない。屋号も1892(明治25)年刊行の『全國鐵道名所案内』の鵠沼海水浴場紹介に「鵠沼海水浴場は藤沢停車場を距る二十余町の海浜に在り浜は一面の砂地にして稚松処々に生じ岸は遠浅にして水清く波静かなれば婦女子の水浴を取るには最も適当にして少しも危険の恐なし此地紳士紳商の別荘の他に待潮館、鵠沼館二軒の旅亭ありて東に江之島を軒の内に望み前は渺茫たる太平洋に面し風景稍や賞するに足る」と記されており、この「待潮館」というのは「對江館鵠沼」だろうと思われる。今のところ「待潮館」は同書しか記された例を見ていない。また、略字(現行当用漢字)を用いて「対江館」とする場合もある。写真も見つかっていないが、1901(明治34)年8月に日本画の河合玉堂画伯が滞在し、『清風涼波』という絵巻物を制作した。それを見ると、純和風の二階建てだったことが判る。この旅館は1910(明治43)年頃田中安・カネ夫妻によって買い取られ、「中屋」と改名して旅館として営業を続けるほか、敷地内に6軒ほどの貸別荘が設けられ、1941(昭和16)年までは営業していた。建物は戦後まであり、二男の上村家が住んでいたが、1974(昭和49)年、特別養護老人ホーム「上村鵠生園」に生まれ変わった。 「中屋」以後については別項を立てる。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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