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苅田集落苅田は、鵠沼本村の中央部にある集落で、大齋藤の屋敷森から南に細長く続く。戦後になって1960年に県道30号(湘南新道)が集落を分断した。下の写真はその5年前、集落の中央部にあった火の見櫓から苅田集落の中央部の北西を望んだ光景で、手前の茅葺き屋根に住んでいた山上敏夫氏が撮影したものである。山上氏はその後国鉄大船工場に勤務され、今や鉄道写真家としては名の知れた存在である。「鵠沼は都会になりすぎた」と、国鉄民営化を機に退職され、長野市の町外れにあるリンゴ園に囲まれた農家を買い取って隠棲されている。写真は端午の節句。下ノ沢の田圃では大凧がうなりを響かせていたであろう。点在する茅葺き屋根が旧来の農家、瓦やトタン葺きの家は戦後建ったものである。 苅田の明治初期の戸数は27戸であったが、姓別では關根・山口各6戸、齋藤・内田各5戸、淺場3戸、その他山上、小森各1戸と、かなりまとまっている。後に藷問屋や網元になる家もあった。 苅田の人形山車苅田は、祭礼の人形山車参進では五番山車を務め、列の中央に位置する。苅田の山車人形=徳川家康は、烏帽子、直衣の姿で、黒地の直衣には金色の葵の紋が5か所(胸 両袖 両胸)に刺繍されている。左右の手は何も持たず、袖にかくれる。 苅田の人形山車の概要をまとめてみると、次のようなものである。
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