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関東の人形山車皇大神宮の例祭は毎年8月17日の午後に催行される。各氏子町内が出す9台の人形山車の勢揃いは、神奈川県内随一で、「かながわの民俗芸能50選」、「かながわのまつり50選」に指定され、人形山車9台は藤沢市の有形民俗文化財に指定されている。この人形山車の参進が始まったのは、明治中期からで、現存最古の山車は上村町内のものである。江戸時代に入って江戸の町では赤坂山王神社で「天下祭り」が始まる。天下祭りとは、山車が江戸城内に参進し、将軍に披露したところから名付けられた。天和年間、江戸の山王祭り・神田祭りが隔年で天下祭りを開催するようになった。しかし、余りにも華美になったため、享保の改革では屋台の曳きまわし禁止令が発布されるほどだったという。 江戸では天保に入って二層式の鉾台型(江戸型)山車が造られ、たちまち関東一円に流行した。 幕末には天下祭りは自粛されたが、明治に入って山王祭りと神田祭りが復活した。しかし、江戸時代のような豪勢な祭りは影を潜めた。その代わり、関東一円の祭礼に人形山車が多く出現するようになる。これは、東京から譲り受けたり購入したりした例がかなり多い。 鵠沼の場合もこうした時流に乗ったと考えられるが、江戸型の豪華絢爛な山車ではなく、素木(しらき)造りの 唐破風屋根、小型木製車輪、廻り舞台の3特徴を有する三層式の山車で、江戸時代に腰越で造られたのが最初といわれる。現在も鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市に31台あるので、「湘南型山車」と呼ぶ人もいる。 通称ぶん回しという山車全体を早く回すのが見所である。 上村(かむら)の人形山車上村は鵠沼村の西端に位置し、明治初期の戸数はわずか11戸という最小の集落であった。皇大神宮の9台の山車のうち、現存最古の山車は上村の山車である。ある人の試算によれば、現在この山車を新調すれば、3億円はかかるだろうという。これを11戸の小集落で最初に造ったのは驚異的である。他地域の山車は東京から譲り受けたり購入したりした例がかなり多いと先にも述べたが、鵠沼村の9台はいずれも新調したと伝えられる。前項でも述べたように、明治も中期にさしかかる頃から、農業の商業化や鉄道建設を初めとする賃仕事の増加、用地買収に伴う農家の現金収入が増加したと見られる。さらに、明治新政府による国家神道の推進もあったであろう。それにしても、上村では山車を引き出す時に手が足りないので、宮ノ前から助っ人を借りたといわれるほどの小集落だった。 上村の人形山車の概要をまとめてみると、次のようなものである。
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