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この地蔵については、加藤梔E衛門『現在の藤澤』に掲載されている。 『藤沢の民話』第一集の山口紋蔵氏からの聞き書きには、鎌倉時代との説もあるので引用しよう。 藤沢の高根地蔵藤沢町鵠沼堀川海岸にある高根地蔵と云う伝説の霊験あらたかの地蔵がある。この地蔵は天保十四年二月四日鵠沼堀川部落の開祖山上新右衛門が建立したもので鎌倉時代の合戦に或るやんごとなき若君を負い郎党四人を引具した武者がこの地まで落ちのぴたが武運拙なく遂に敢なき最後を遂げたるを村人等が之を悼み茲に葬むりしものと伝う。明治初年両堂改築の為め盛土を取崩した処刀身二口、断碑片若干、土器十二枚を発見したと当時鑑識の明なく徒に散逸したものたりと。 部民はこの地蔵に触れると必ず生命に関する程の崇ありと恐れ、安政五年頃より毎年九月四日追善供養をおこなって今日に及び以来恐ろしき崇りも絶え、小児の疾病本復を祈れば殊に霊験あらたかであると云われ四時香華の絶えぬものたり。この逸名の小公子と忠臣の冥福を祈り一面郷土史跡記念物として保存の為の同所の海軍予備大佐松岡静雄氏等の発起で出来た小さな祠堂が建てられている。 加藤梔E衛門『現在の藤澤』 高根地蔵の話高根地蔵さんは、塚の上に地蔵さんを作ったですよ。あの辺には塚があちこちにあった。わたしが、はっきりおぼえているのは三つですがね。あれは、鎌倉時代の戦さで逃げて来て、子どもを置いて跡だということですよ。地主が、塚のあったところで何か耕作したところが、病気をするから、地蔵さまでもつくるべえ、ということになったのだろうね。耕作した人には災いがあったというので、地蔵さまをつくったと聞いてますよ。 毎月四日に皆さんがおまいりし、お茶をのんでお念仏を唱える。九月四日が大祭で、この日には、菓子などをたくさん買って、子どもにやったので、子どもは行くのが楽しみだった。 (鵠沼 山口紋蔵氏 明治23年生・昭和47年7月) |
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭 |
[引用文献]
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