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昨今、藤沢市当局が東海道線以北の鵠沼神明と鵠沼を鵠沼地区から外し、藤沢地区に含めることを目論んでいるという噂を耳にした。
都市計画上の地域区分としての鵠沼地区藤沢市は1999年2月に「藤沢市都市マスタープラン」を発表し、それに沿った都市計画が進められている。このマスタープランにおける鵠沼地区には藤沢地区の南藤沢を含めている。統計処理上の鵠沼地区現在藤沢市が公開している最も新しい統計資料は、2005年10月1日の国勢調査速報値であり、それによれば鵠沼地区の人口は52,318人(13地区で最高)、面積は5.55km2、人口密度は9,427人/km2(13地区で最高)となっている。ただし、この数字は鵠沼神明を除き、藤沢地区の南藤沢と片瀬地区の旧字大源太のうち境川以西の地区を含んだ地域のものである。鵠沼市民センターの管轄範囲鵠沼地区では公民館は1958年に市内で2番目に開設されたが、市民センターは2003年、市内で11番目に公民館に併設された。鵠沼市民センターの管轄する自治会・町内会の範囲や民生委員・児童委員の分担地域からは鵠沼神明北部は外れており、南藤沢が含まれている。公立小中学校の学区小学校学制発布より早く、1872年7月12日には鵠沼学舎(→藤沢市立鵠沼小学校)が開校し、鵠沼村全域を学区とした。南東部の開発による人口増加により、1946年8月10日、藤沢市立鵠洋国民学校(→藤沢市立鵠洋小学校)が開校し、本鵠沼駅付近から南を学区とした。さらに1970年4月1日、藤沢市立鵠南小学校が開校し、鵠洋小学校学区から分かれて鵠沼海岸全域を学区とした。この鵠沼・鵠洋・鵠南の3校が鵠沼地区を3分する形だが、鵠沼神明の東半は藤沢市立本町小学校、鵠沼石上の東部と鵠沼東は藤沢市立新林小学校、藤沢駅南口周辺は藤沢市立大道小学校の学区になっている。 中学校 1933年11月14日、鵠沼北端部に藤沢町内の高等科を統合する藤沢高等小学校(→藤高国民学校)が開校し、これが1947年の新学制により「藤沢市立第一中学校となった。同時に新たに藤沢市立鵠沼中学校が開校し、東海道本線を境に学区を分けた。1956年4月1日、辻堂東海岸に藤沢市立湘洋中学校が開校し、鵠沼松が岡全域と鵠沼海岸の大部分が鵠沼中学校の学区から分割された。この第一・鵠沼・湘洋の3校が鵠沼地区を3分する形だが、鵠沼石上の東部と鵠沼東は藤沢市立村岡中学校の学区になっている。 |
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E-Mail: | 鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭 |
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※この文章を読んで、「これはWikipediaの鵠沼の丸写しではないか。」と気づかれた方がおられるかも知れない。実は、Wikipediaのこの部分は、私が書き込んだ部分なのである。今後もこの千一話の中にWikipediaと同文が現れるかも知れない。「鵠沼」「鵠沼海岸」「湘南海岸公園」「神奈川県道片瀬大磯線」「片瀬西浜・鵠沼海水浴場」「 湘南海岸・砂浜のみち 」などの大部分は私が書いたものだからである。 | ||
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