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大東京の風景地1931(昭和6)年8月26日、《湘南遊歩道路》の起工式が催行された。第0290話で紹介した官選第15代神奈川県知事山県治郎の発想による湘南海岸と箱根を結ぶ一帯の国際観光地化企画の最初の具体策は、湘南遊歩道路の建設であった。 山県知事は、「湘南地方計画と風致開発策」という論文で、湘南を「大東京の風景地」と位置づけ、「各種交通機関は、湘南に向つて殺到して居る状況だ。従って此処に奮然として起って来る処の、乱雑なる湘南地方小都市を大都市の外郊として其の体を如何に統制すべき哉が重大なる問題になって来る。そこで此の統制を支配する重要なる処置は、一に懸って自由空地の確立、即ち緑地網の設定と、地域制の限定に外ならぬ。之れ即ち湘南の湘南たる所以であらう」と論じている。 この、山県知事の国際観光地化構想より先に、山県知事就任直前の段階で、鵠沼を中心とする湘南地域では、いくつかの湘南遊歩道を生み出す時代背景があった。それを以下のようにまとめてみた。
概要この道路について調べてみて、下記[参考サイト]のWikipediaの《神奈川県道片瀬大磯線》を私(HN=Kurobe56)が起稿しておいたので、詳細はそちらを参照されたい。写真や断面図も貼り付けてある。そのうち概要の部分を列記しよう。
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