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第0305話 江ノ電納涼電車

江ノ電、4輪単車の納涼電車5両就役

 江ノ電(当時は東京電燈㈱江ノ島線)は1931(昭和6)年、「開通30周年記念祝賀会」のメインイベントとして七里ヶ浜沖合で「焚車祭」を実施し、以前から在籍する単車〔2~24号車〕のうち4号車を燃やし、残りの9両〔5~7・9・10・13・14・24号車〕を廃車したが、5両〔開業当時から活躍する2・3・8号車と、1910年に製造された11・12号車〕を納涼電車に改造した。
 納涼電車は、1931(昭和6)年8月から夏期のみ運行された湘南にふさわしい開放的な車両で、車体は新製した鋼製のもので、前面にはボギー車と似た大きなバンパーが付けられた。全車電動車化後は連結器は撤去されたらしい。側窓はガラスがなく、デッキとの境を含め5本の柱が立つ。デッキと客室とを隔てる仕切もなく、窓柱には横引きのカーテンが付いた。屋根は枠組みだけの薄いシングルルーフで、その上に紅白ストライプのキャンバスが張られた。全面に渡って窓を取り払い風が入るようにされた開放的なスタイル、当初は畳敷きの車輌もあったという。1・2だけは夏季以外にも窓ガラスを取り付けて一般車として運用されていた。3・11・12にはそういったことはなく、秋になると休車とされていたらしい。海水着のまま乗ることができ、当時極めて珍しい車内販売も行われて、人気を博した。「納涼電車1号」は新潟鐵工所製。 なお、その他の単車は、17~22号車が他社へ譲渡され、15・16号車が連結車に、23号車が電動貨車1号車に改造された。
 1936(昭和11)年には車体のみを納涼電車として新製したボギー車の100形111・112号車も誕生した。この2両は1934(昭和9)年に西武新宿軌道から購入した普通車(ここではボギー台車を使用した車両)の100形111・112と台車を共用しており、オフシーズンは台車を普通車の111・112へと譲り運行された。
 この納涼電車は1943(昭和18)年夏まで運行されたという。
 戦後復活したかどうかの記録は見当たらないが、1949(昭和24)年、江ノ島鎌倉観光株式会社に社名変更した段階で納涼電車を一般化改造、初代201・202号車として登場したとある。

現在の納涼電車

 現在各地の鉄道で「納涼電車」と称する車両が運行されているが、普通車両に風鈴や提灯を下げたり、ビールなどの飲食ができるようになっていたり、車内でライブ公演が行われたりという程度のもので、かつての江ノ電納涼電車のような車体そのものを夏季仕様に改造した例は少ない。
 江ノ電では1992(平成4)年、開業90周年の記念に300形301編成が明治製菓の全面広告車両として納涼電車風の塗装となり話題となった。
 1999(平成11)年、市民(NPO)の手により復活した納涼電車イベントをきっかけに、ワイン電車、ビール電車などのイベント電車を数多く運転するようになった。
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 江ノ島鎌倉観光:『江ノ電六十年記』(1963)
 
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