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山口寅之輔と松島苑住宅地《松島苑》とは一般の地図には記載されていないが、鵠沼地区を営業範囲にしているタクシー運転手なら認識しているるという程度の地名である。江ノ電バス高根線の「上岡」バス停から東に分岐し、江ノ電鵠沼駅方向に向かう道の両側、現在の住居表示では鵠沼桜が岡一丁目と鵠沼藤が谷四丁目にまたがる。かつてこの北側には《高砂》と呼ばれる海抜18m程度の砂丘の高まりがあり、子どもたちの砂滑りの遊び場になっていた。また、桃畑も多く、はるばる村岡方面からも花見客が訪れたと山川菊榮が『我が住む村』(1943)に記している。ここは大給子爵の土地を伊東將行と木下兄弟が開発した日本初の大型別荘分譲地《鵠沼海岸別荘地》の北側に隣接する。 第0205話で、「鵠沼海岸別荘地開発は、1920(大正9)年はに一つのエポックを迎えたのではなかろうか。」と書いた。その項の冒頭に「山口寅之輔、旧大給邸跡地を入手」 を置いた。当項はその続きである。 《松島苑》の名はかろうじて地元民に知られているが、その由来を知る人は少ない。江ノ電鵠沼駅近くに住んでいた松嶋喜作氏(証券業、戦後2代目の参議院副議長)が開いたとよくいわれるが、そのようなことはない。 有田裕一氏・佐藤和子氏が「山口寅之輔と松島苑住宅地」と題して『鵠沼』第89号に調査報告を掲載されているので、その主要部分を要約しよう。
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