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第0290話 山県知事時代

官選第15代神奈川県知事山県治郎

 1929(昭和4)年7月5日、官選第15代神奈川県知事に山県治郎が着任する。山県は内務省都市計画局長から石川県知事、広島県知事を歴任した人物で、都市計画に明るかった。
 彼の任期は2年半ほどと短かったが、この時代に県主導の大型公共事業が県土一帯に拡大した。それまでの数年間、神奈川県の公共事業は関東大震災で大きな被災をした横浜港や京浜工業地帯に向けられていた。山県知事の時代に入って、震災復興が一段落した時期に入ったといえようか。また、交通機関では、人力車・大八車の時代から円タク・バス・トラックの時代を迎えようとしていた。
 鵠沼周辺においては、藤澤競馬場(1927)、龍口園(1928)、藤澤カントリー倶樂部(1932)など観光施設の開設が民間の手によって行われたが、折からの世界恐慌や軍国化の波の中で長続きしなかった。また、第0264話で紹介した江ノ電による新線計画や日本自動車道による日本最初の自動車専用道路、遊覧懸垂電車(ロープウェイ)計画などもこの直前の時代である。そして小田原急行鉄道江ノ島線の開通が山県知事就任の半年余り前に行われた。
 山県知事は湘南海岸と箱根を結ぶ一帯の国際観光地化を目論み、神奈川県道片瀬大磯線(「湘南海岸公園道路」通称「湘南遊歩道」と呼ばれる。現在の国道134号)の敷設、引地川の河川改修などが次々に具体化した。さらに、県営湘南水道、県営鵠沼プールの建設が山県知事時代の後に行われ、戦後の県立湘南海岸公園開設へと引き継がれて行くのである。
 この項では現在の鵠沼海岸地区の性格が山県知事時代にスタートし、エポックを形成していったことを概説し、個々の公共事業の経緯については別項を設ける。 
山県知事時代以降の鵠沼地区県営事業関係年表    
西暦 和暦 記                        事
1929 昭和 4 7 5 ~1931.12.27、山県治郎、官選第15代神奈川県知事に任命
1929 昭和 4 10 24 ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。世界恐慌が勃発する
1930 昭和 5 2   山県知事、神奈川県庁内に「神奈川県外人招致委員会」を結成する
1930 昭和 5 3   県土木部、湘南海岸道路(川口村片瀬龍口寺-中郡大磯町間)の敷設計画に着手
1930 昭和 5 10   県土木部、湘南海岸道路の敷設計画まとまる
1930 昭和 5 11   通常県会、湘南海岸道路新設案を可決
1931 昭和 6 1   神奈川県、時局匡救農村振興土木事業によって引地川の第3期改修工事に着手
1931 昭和 6 4 7 片瀬大磯線(鎌倉郡川口村片瀬-中郡大磯町)を県道認定する
1931 昭和 6 6   遊歩道路(湘南海岸道路)工事起工
1931 昭和 6 8 27 県道湘南海岸道路(片瀬-大磯間)の起工式挙行
1931 昭和 6 8   県当局、鵠沼海岸に県営プール開設を計画。藤沢町、県知事へ促進意見書を提出
1931 昭和 6 9 21 県道片瀬-大磯線(川口村片瀬龍口寺前-中郡大磯町郵便局前)工事着手
1931 昭和 6 9 23 県道藤沢停車場・江の島線の改修工事着手
1931 昭和 6 12 28 ~1932.6.27、遠藤柳作、官選第16代神奈川県知事に任命
1932 昭和 7 6 28 ~1935.1.14、横山助成、官選第17代神奈川県知事に任命
1932 昭和 7 9 7 県当局、湘南水道㈱の買収について仮契約成立
1932 昭和 7     神奈川県道片瀬大磯線「鵠沼橋」架橋(道路建設用の架橋であり、渡り初めは1935年)
1933 昭和 8 3 30 県営水道、湘南水道㈱を合併
1933 昭和 8 4 1 我が国最初の広域水道としての県営水道を設置。藤沢営業所、開設
1933 昭和 8 10 30 神奈川県、鵠沼・片瀬地区の県有地を住宅地として売却するため土地区画を決定
1933 昭和 8     魚付き砂防林造成事業(5か年計画)が終了
1934 昭和 9 2 1 引地川改修事業完成。『紀功碑』、鵠沼海岸2-17地先引地川河畔に造立
1934 昭和 9 2 26 藤沢町が都市計画法の適用をうける
1935 昭和10 1 15 ~1936.3.12、石田馨、官選第18代神奈川県知事に任命
1935 昭和10 4   引地川「大平橋」、竣工
1935 昭和10 7 22 都市計画神奈川地方委員会、湘南海岸公園計画地域を可決、答申
1935 昭和10 7 27 湘南海岸道路(湘南大橋を除く区間)開通。「渚橋」「鵠沼橋」落成、渡り初め
1935 昭和10 9   県都市計画課、藤沢都市計画公園(鵠沼・辻堂・片瀬合計54.45ha)設計案を作成
1936 昭和11 3 13 ~1938.12.22、半井清、官選第19代神奈川県知事に任命
1936 昭和11 8 26 藤沢町会、東京オリンピックに備えて、県知事に鵠沼海岸プール設置要望の意見書提出を決定
1936 昭和11 8 31 県道片瀬-大磯線(湘南海岸公園道路)全線工事竣工
1936 昭和11 9 25 鎌倉郡鎌倉町より中郡大磯町に達する道路、県道26號に指定
1936 昭和11 10 23 湘南大橋開通と湘南道路竣工の式典挙行
1936 昭和11     県道藤沢停車場・江の島線改修工事、着工
1937 昭和12 6   県営鵠沼プール、建設工事着工
1937 昭和12 8 18 県営鵠沼プール、建設工事竣工
1938 昭和13 7   県営鵠沼プール開場、藤沢町に管理を委託
1938 昭和13 12 23 ~1939.9.4、大村清一、官選第20代神奈川県知事に任命
1939 昭和14 9 5 ~1940.4.8、飯沼一省、官選第21代神奈川県知事に任命
1940 昭和15 4 9 ~1942.1.8、松村光磨、官選第22代神奈川県知事に任命
1940 昭和15 10 1 藤沢市制施行藤沢市になる。戸数6,357戸、人□32,479人
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 藤沢市教育委員会:『湘南の誕生』(2005)
 
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