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川口章吾プロフィール川口章吾(かわぐち しょうご 1892-1974)はハーモニカ奏者 東京日本橋生まれ。【学歴】東京黒船小学校中退(3年) 【栄誉】藍綬褒章 神奈川文化賞 小学校中退後、神田の印刷業「広業館」に就職(10歳)。主人の甥が16穴のホーナーハーモニカを貸してくれたのが、ハーモニカとの出会いという。19歳で初舞台、名手として注目される。 1918(大正7)年、日本楽器製造株式会社に入社。製作部主任となりハーモニカの改良に努め、楽器としてより充実させた。この頃明大ハーモニカソサイアティの指導も始める。 1925(大正14)年、川口章吾合奏団第1回の演奏会を開催した。その後ハーモニカ界での活躍はめざましく、巡回指導・演奏会等で日本各地を訪れた。 1930(昭和5)年より横浜訓盲院で盲目の子どもたちへのハーモニカ指導を始めた。以後41年間指導を続けたが、その功により1967(昭和42)年には神奈川文化賞を受賞している。 鵠沼とのゆかり妻倭文江(しずえ)の病気療養のため1929~30(昭和4~5)年頃鵠沼(現鵠沼松が岡3-18-6)に転居。昭和5年、倭文江死去。1935(昭和10)年、哲子と再婚した。哲子夫人は書道家=川口芝香として活躍し、鵠沼にも稽古場をもっていた。 章吾はとてもやさしく、近所の子どもにラッパ状のものが付いたハーモニカを与え、音が大きくなることを教えたという。. 川口芝香プロフィール川口芝香(かわぐち しこう(本名:哲子) 1896-1981)はかな書家 東京生まれ。【栄誉】第27回日書展(1973)ジェトロニクス国際賞 1935(昭和10)年7月1日結婚。夫君はハーモニカ演奏者川口章吾(1892-1974) 小野鶯堂に師事。佐藤梅園、上田桑鳩の影響を受ける。日本の女流かな文字の第一人者。 毎日書道展名誉会員。(審査員)/日本書道美術院評議員(審査員)/かな書道作家協会理事 鵠沼とのゆかり書道塾主宰〔稽古場(松が岡)・養清堂画廊(銀座西)・趣味の教室(銀座黒竜ビル)〕1955(昭和30)年4月1日藤沢市書道協会が設立、理事になる。 協会の会長は、初代から佐々木如空、川口芝香、大月海山、天野翠琴、川口芝香、重田翠村等の諸氏(以下略)で、2期会長を務めた。 現在、芝香の薫陶を受けた方に、第31回(1977)日書展ジェトロニクス国際賞を受賞した日展評議員小山やす子のほか、鵠沼在住の増田芝瑛、菊池芝園など各氏が活躍している。 |
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭 |
[参考文献]
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