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第0232話 吉村鉄之助別荘

吉村鉄之助別荘を大改築

 吉村鉄之助(よしむら-てつのすけ 1858-1937)は、明治-昭和時代前期の実業家,政治家。
 1858(安政5)年8月1日生まれ。同志社でまなぶ。吉村商店,江若(こうじゃく)鉄道,東洋無線電信電話の各社長をつとめた。大正6年衆議院議員(当選2回,政友本党)。1937(昭和12)年8月28日死去。80歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。
 1892(明治25)年というから、鵠沼海岸別荘地開発の当初、吉村鉄之助は鵠沼館の北東に子女の療養のため別荘を建てた。
 1922(大正11)年に代議士になっていた吉村は別荘をかなり豪壮な建物に建て替えた。翌年、東久邇宮妃とご一家がこの別荘で避暑をされることになる。

メイン道路を2尺拡幅

 皇族が鵠沼で長期滞在されるとは空前のことなので、地元は歓迎準備のために大わらわだったという。
 東久邇宮妃殿下歓迎のため、江ノ電から大曲を経るメイン道路を2尺拡幅することになり、道路両側の土地所有者は、道路拡幅のため1尺ずつを供出させられた。
 時は人力車時代から自動車時代への転換期である。第0199話でも紹介したように、岸田劉生の『劉生繪日記』によれば、1922(大正11)年に劉生の住む《松本別荘》の前の道(後に湘南学園ができたことで《学園通り》の別名が生まれた)が、自動車を通す目的で拡幅工事が行われたことが記されており、外出の機会が多かった劉生は、悪天の時などにしばしば自動車(タクシー)を利用している。

吉村鉄之助別荘関係年表
    
西暦 和暦 記                        事
1892 明治25     実業家=吉村鉄之助、鵠沼館の北東に子女の療養のため別荘を建てる
1922 大正11     吉村鉄之助、別荘を大改築
1923 大正12   東久邇宮妃殿下歓迎のため、江ノ電から大曲を経るメイン道路を2尺拡幅
1923 大正12   東久邇宮妃、3人の子女と共に吉村鉄之助別荘で避暑
1923 大正12 9 1 大正関東地震(震源:相模湾東部、M=7.9)発生 
1923 大正12 9 1 東久邇宮第二王子師正王、吉村家別荘で圧死
1923 大正12 9   退役海軍軍人=松岡静雄、遺体を引取りに軍艦を鵠沼沖に廻航させる
1924 大正13 9 1 吉村鉄之助、東久邇宮第二王子師正王の遭難記念碑を別荘内に建立
1981 昭和56 8 31 塩澤 努、東久邇宮第二王子師正王の遭難記念碑を港区白金4-2-3本妙寺で発見
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:「震災誌(特集)」『鵠沼』第50号(1989)
 
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