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第0225話 購買組合

別荘地の便利屋

 今回は極めて曖昧模糊とした話になることをお許し願いたい。
 こんなものを話題にするつもりはなかった。前から気にはなっていたのだが、入ってくる情報が断片的で、明確なものが一つもないのである。
 話題は《購買組合》または《購買部》、《購買所》、あるいは単に《購買》など、さまざまな呼称がある施設あるいは組織についてである。
 場所はかなりはっきりしている。現在の湘南学園の南側、暫く前まで《ピノキオ》という文房具店があった場所である。ここにかつて《購買組合》というものがあった。いつ頃できて、いつ頃消えたのかは明確ではない。いずれにせよ、鵠沼海岸別荘地の別荘族のための施設であり、貸し布団や蚊帳、燃料などを斡旋するのが主な業務だった。やがて、一般向けの商品も扱うようになり、駄菓子や季節によってはアイスクリームなども売っていたらしい。
 ある方の記憶によれば、そもそもは三菱系の別荘族(鵠沼海岸別荘地には、三井系の大物が多く別荘を構えていたにもかかわらずである)が共同出資で組織したものらしい。
 別荘地としての性格を特徴付ける施設として興味ある話題だが、記録も乏しいし、写真なども見つけていない。いずれ、機会があったら調べてみたいが、ご存じの方があったらご教示願いたい。

 この稿を起こす気になったのは、鵠沼郷土資料展示室の次期展示「鵠沼と岸田劉生」の準備のために『劉生日記』を読み返していて、1922(大正11)年に長女=麗子の初めての「お使い」先として購買に一人で行かせた記録があったからである。岸田劉生の松本別荘の自宅から最も近い商業施設で、道一本で行けるところだったので、初めてのお使い先としてはふさわしい選択といえよう。その他にも時折この施設の名が日記に登場する。
 この松本別荘の自宅は、関東大震災で倒壊するが、劉生は津波を恐れて石上まで避難する。数日後自宅に戻り、大家の松本家にやっかいになっていた。9月7日の日記にこうある。
 「朝の中片瀬の写真屋が通って購買組合を聞いたのでそれと分り、こわれた宅の前と二宮さんの仮居の前と、写真二枚づゝ写してもらった。」
 この写真は《片瀬写真館》に現存し、鵠沼を写した関東大震災の唯一の記録写真として有名なものであるから、ご存じの方は多いだろう。(最近になって他にも数枚の写真が見つかった)

 そういえば、いま(2011年7月26日(火)−9月25日(日))市民ギャラリー常設展示室で「企画展 写真館が撮った昭和初期の藤沢」を開催中。見に行かねば。
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
 
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