黒部五郎とは? ここでは黒部五郎と名乗る男の自己紹介をします。 しかし、いずれにせよ彼は幻の人物です。 幻とは聖書ではVisionの訳語です。 |
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■ 黒部五郎とは? | |
■ 黒部五郎の人物像 | |
■ 黒部五郎の生い立ち | |
■ 黒部五郎の関係団体 | |
■ 黒部五郎の関係した書物 |
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■ 黒部五郎とは? |
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少しでも登山に関心をお持ちの方ならご存じと思いますが、黒部五郎とは黒部川源頭に近い岐阜・富山県境に聳える海抜2839.6mの山の名、黒部五郎岳から取ったものです。 なにしろ、そんな場所ですから、北アルプスの中でも最も行きにくい山と言っていいでしょう。 山頂の東側は急に切れ落ちてカール(氷河源頭にあるU字型の谷)になっています。 カールの底には大きな岩がゴロゴロしていますが(こういうところを「ゴーロ」と呼び、黒部五郎の山名の基になったといわれます)、気持ちのいいところで、すっかり気に入りました。 また、黒部川源流を挟んで北方にある雲の平から眺めると、ドッシリとした山容が立派です。 高校3年生の時、所属していた「スキー山岳部」の部誌「山踏(さんとう=三等に掛けた洒落)」に駄文をしたためた際に、ペンネームとして借用し、以後も詩や歌を発表するときに用いていました。 1996年8月、NIFTY-Serveの「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」に加盟した際にハンドルネームとして用い、全国的に知られる(!?)ようになりました。 姓は黒部、名は五郎ではなく、「黒部五郎」が名です。 |
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■ 黒部五郎の人物像 |
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■性格 争いごとが嫌いで、八方美人的なところがあり、優柔不断と見られます。 段取りがまずく、整理下手で、手入れや清掃が苦手です。 臆病者で、オズオズと生きている割にはずうずうしいほど楽天的な側面も持っています。 ■嫌いな物事 スポーツは一般にだめで、特に球技はパチンコしかできません(^_^;; 勝負事、特に1対1ですることはだめです。賭事もやりません。 主義主張から、自家用車の運転はしないことにしています。免許も持っていません。 ■苦手な物事 アルコールは生理的に受け付けません。 金銭感覚はゼロで、経済学には疎く、金儲けを莫迦にしています。 形而上学とフィクションは苦手です。劇団に15年間も所属していたのが不思議です。 ■好きな物事 風景を見ること。テレビ画面を見て、瞬時に場所を判断する超能力(?)を持っています。 音楽を聴くこと。あらゆる地域、あらゆるジャンルにわたりますが、演奏は不得意です。 創作活動。絵画・舞台美術・建築・写真・詩作・編集・パソコンなどを手がけました。 |
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■ 黒部五郎の生い立ち |
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黒部五郎の生まれは1940年12月18日。本名の命名者は地理学の泰斗綿貫勇彦教授です。 父親は愛媛県の山村の出で、地理学者を目指していましたが、戦争のため海軍水路部・公務員・兵卒と仕事は思うに任せず、敗戦後は公務員を努めていました。登山家で、山人倶楽部・日本山岳会に加盟していました。 母親は福岡県柳川の出で、河井酔茗門下の詩人・植物愛好家でした。 赤ん坊の頃は世田谷区の太子堂に住んでいましたが、軽度のくる病に罹ったため、転地療養の目的で2歳の時に湘南・鵠沼に転居しました。 10歳の時に急病で父親が死亡し、13歳の春までを世田谷区瀬田で過ごしました。 学歴は鵠洋小学校→京西小学校→瀬田中学校→鵠沼中学校→鎌倉高等学校→立正大学一部文学部地理学科です。 大学を出るとすぐに、神奈川県立高等学校に社会科教諭として就職し、現在まで小田原城東・小田原・横浜日野・鶴嶺・七里ガ浜・深沢の6校を経験し、2001年3月31日定年退職しました。 1965年5月22日、藤沢バプテスト教会でバプテスマを受け、キリスト教徒になりました。 1966年5月3日に瀬田時代に知り合った小学校教諭の女性と瀬田の東京第一バプテスト教会で結婚式を挙げ、二人の男子をもうけました。 現在は二人とも成人し、第1子は大阪市立科学館の学芸員を努め、第2子は東京で会社を経営する傍らバンド活動に熱中しています。 |
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■ 黒部五郎の関係団体 |
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■ 黒部五郎の関係した書物 |
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