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第0001話 海岸平野の砂丘列

 冬至の前後、陽が西に傾く頃、鵠沼の道を海に向かうと、正面からの陽光に眼が眩む思いをすることがよくある。
 これは、鵠沼の道の多くが北東―南西方向に並行していることによる。どういう理由からそうなるかというと、砂丘列の走行が北東―南西方向に平行だからである。


 鵠沼地区の地形は、全体が「湘南砂丘地帯」と名付けられた海岸平野に位置する。海岸平野とは、砂質の浅い海底が陸化してできる平野をいう。

 海岸平野を構成する物質は、沿岸流(海岸線に沿って流れる海流)によって運ばれてきた砂が、寄せ波によって渚にうち寄せられたものだ。渚には貝類が生息するので、しばしば貝殻を含む。藤沢市の海岸平野(湘南砂丘地帯の東半)の場合、砂の構成を調べてみると、丹沢山地の岩石とほぼ一致し、一部火山噴出物を含む。つまり相模川が運んできて、海に吐き出した砂だ。また、引地川や境川の砂も若干含まれる。茅ヶ崎や辻堂海岸の渚には平たい円礫(えんれき)が見つかることがあるが、鵠沼や片瀬の場合、海岸線にも内陸の砂地にも礫が含まれることは稀である。相模川の河口から離れているためだと説明できる。
 海岸平野の地形の特色の第一は、一般に海岸線に平行する砂丘列が見られることである。
 そもそも海岸平野における砂丘列が海岸線に平行する理由としては、次のように考えられている。
砂丘の形成 砂浜(さひん)海岸にうち寄せる波は、渚(なぎさ)で速度が速くなるためエネルギーを増し、渚の砂を侵食して陸上に運ぶ。押し上げられた砂は波のエネルギーが減退する高さに堆積して、海岸線に平行した細長い高まりをつくる。これを浜堤(ひんてい)(バーム)という。波が引くときにも、渚で速度が速くなるためエネルギーを増し、渚の砂を侵食して今度は海底に引き込む。引き込まれた砂は波のエネルギーが減退する深さに堆積して、海岸線に平行した細長い高まりをつくる。これを沿岸州(えんがんす)(バー)という。沿岸州は引き波だけでなく、沿岸流による運搬物も堆積させる。

  波の強さは表面を吹く風の風力や風向によって常に変化するから、浜堤や沿岸州も日常的な波によるものと強い波によるものと2〜3列が平行して形成されているのが普通である。沿岸州は海底にあるため観察しにくいが、大潮の干潮時には海面に姿を現す場合がある。また、寄せる波を観察してみると、波頭が崩れる位置は渚から一定の距離であることがわかる。沿岸州で押し上げられて崩れるのだ。沿岸州がきれいに続いている場合、寄せ波のバランスと適合すると、波頭が一斉に崩れてパイプラインと呼ばれる見事な管状になるときがある。サーフィンとは、こうした寄せ波の性質をうまく利用したスポーツだ。
 このような海岸線に平行した浜堤や沿岸州が、地盤の隆起あるいは海面の低下によって海岸平野になると、海岸砂丘列となる。通常海岸部では、気圧配置が安定しているときは昼間は海から陸に向かう風(海軟風)が吹き、夜間は陸から海に向かう風(陸軟風)が吹く。太陽エネルギーの強い昼間の海軟風の方がはるかに強く吹き付けることは、海岸部に生えている樹木が海から陸に向かって偏形していることでたやすく判断できる。湘南海岸にはクロマツやトベラなどの防風防砂林が植栽され、若木はよしずなどで護られている。この強い風の吹き寄せによって、陸化した浜堤や沿岸州が形成した海岸砂丘列は成長する。
 本州の典型的な海岸平野としては、太平洋側の鹿島(かしま)、九十九里、遠州など、日本海側の新潟平野などが知られている。これらに共通する特色として、海岸線が緩やかな弧状であること、海岸線に平行する砂丘列が見られることが挙げられる。湘南砂丘地帯の場合はどうかというと、現在の海岸線は緩やかな弧状をなしており、平塚市から茅ヶ崎市にかけては海岸に平行する砂丘列が認められる。ところが藤沢市の砂丘列は、最北部・中間部・最南部の3帯に分けられ、最北部と最南部は海岸線と平行する。しかし、中間部の砂丘列は、辻堂付近では東北東―西南西方向、鵠沼中央部では北東―南西方向、鵠沼東部では北北東―南南西方向、片瀬では南北方向と、東に行くに従って海岸線とは直交するような角度をもつに至る。そしていずれも北側が標高が高い。
 その理由としては、かつては卓越風の吹き寄せが論じられていたが、他の海岸平野では余り見られない現象なので、疑問視されていた。すなわち一旦海岸線に平行に形成された砂丘列が、卓越風による吹き寄せによって、北東―南西方向に偏向し、相模野台地や片瀬丘陵に近づくと風向が偏向し、北部では東西、東部では南北方向になるというものだ。この地方の卓越風とは冬季の季節風、いわゆる木枯らしで、北西風を〈ナレエ(慣い)〉、西風を〈ニシ〉と呼び慣わす。しかし、海軟風との相殺(そうさい)もあってか、とくに顕著な風とはいい難い。砂丘上のクロマツの偏形もさほどとはいえない。また、冬季に成長するムギの新芽を飛砂から護るために、畑に麦わらを挿す光景は、湘南砂丘地帯の風物詩といった風情だったが、その方向も必ずしも一定していない。
 近年の研究により、湘南砂丘地帯東部、すなわち藤沢市南部低地の形成が、各種土木工事時のボーリングコア、考古学的な遺物の分布など、多角的に論証され、明らかになってきた。
 それらによると、湘南砂丘地帯の基盤には、表面の深度が北部で海抜0m、海岸部で海抜-20m程度の南に傾斜する第三紀層があり、その上に北に厚く南に厚い円礫の河成層が載っている。これは、洪積世(こうせきせい)前半の縄文海進以前に形成された扇状地と推定できる。そしてその表面に縄文海進期に沿岸流が運んできた相模川が吐き出す海砂が厚く堆積しているのである。
 鵠沼における海岸砂丘列の方向は、道路網のみならず、鉄道、地割り、畝立て、家屋の向きなど、あらゆる地上物の方向に影響する。

 おもしろいことに、鉄道では最も古い旧国鉄の東海道本線は、茅ヶ崎市、平塚市の市域では砂丘列の方向に影響されているといえるが、鵠沼を中心とする藤沢市域では砂丘列を斜めに断ち割るような部分もあり、藤沢―茅ヶ崎駅間は東海道本線最長直線区間として、旧こだま型151系の試運転が行われたこともある。
 次に古い江ノ電も、ほぼ砂丘列に平行するが、藤ヶ谷付近では「百両山」を削ったと思われる部分がある。
 ところが、藤沢駅以南の小田急江ノ島線の路線は、大きく「く」の字なりになっている。これは砂丘列の方向に影響されている。新宿方面からの下り列車は藤沢駅でスイッチバックし、駅を出てすぐに約45°近く左にカーブして南西方向に向かって長い直線区間となる。この直線区間の中央部に本鵠沼駅がある。直線区間が終わると、R=?という急カーブで約90°左折し、鵠沼海岸駅に向かう。終点の片瀬江ノ島まではほぼ海岸線に平行するが直線ではなく多少のカーブが見られる。ここは北側に平行してやや高い海岸砂丘列があったものを削った部分である。

 もう一つ興味を惹かれるのは、神社の社殿の向きである。日本では神社の社殿は南面して建てられる伝統があった。鵠沼の場合、この伝統は明治前半まではしっかり守られていたようで、奈良時代創建と伝えられる皇大神宮はもちろん、新田宮も南面して建てられている(新田宮の創建年代は調べがついていないが、おそらく明治20年代と思われる)。皇大神宮は、「昭和の大造営」でもこの伝統は引き継がれた。
 これらに対し、明治末期の賀来神社は西に面して、昭和18年の伏見稲荷神社は東南東向きに建てられている。これら2社が創建された時期は、日本にとって国家神道が最も興隆した時期と重なり、ことに賀来神社の場合、境内の向きからいえば南面する方がむしろ自然と思われるにも拘わらずである。

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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

 
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