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第0322話 小田急駅前商店街

鵠沼海岸駅前

 《鵠沼を語る会》の第1回目の会合は、1975(昭和50)年11月1日、参集者は番場定八、福地誠一他という記録が残っている。当時の鵠沼公民館長高松敏夫の呼びかけで、近隣の商店主などが集まったらしい。会の活動が活発化するのは、翌年吉田興一館長に替わった頃からで、爾来35星霜を経、初期の会員はほとんど世を去った。
 この第1回目の会合に参集した具体名が挙がっている番場定八と福地誠一は、いずれも鵠沼海岸駅前商店街を代表する商店主である。番場定八は納屋(なんや)の出身で、最初、1926(昭和元)年から米穀商を営んだらしいが、どこに出店したかは調べていない。
 1929(昭和4)年4月1日、小田急線が開通した当時は松林の中の駅といった風情だったという。
 鵠沼海岸商店街中心街(かつて《鵠沼銀座》と呼ばれ、現在《マリンロード》と改称)から駅へ向かう角地に駅開業後間もなく、田辺政吉が《丸政料理店》を開業する。これが鵠沼海岸駅前商店街の最初の出店である。続いて翌年、駅へ向かって右側に《亀屋御菓子司》、駅から中心街に出た突き当たりに《富久屋》が開店した。
 しかし、しばらくは松林の中の駅状態は続いた。
 福地誠一が駅に向かう道の左側に《鵠沼書店》を開店したのは1932(昭和7)年になってからである。彼は、アマチュアカメラマンとして鵠沼南部の貴重な記録を残し、繪葉書や写真集も著した。その翌年、番場定八が鵠沼海岸駅前に《番場米店》出店した。また《鵠沼書店》の南隣に石山現三郎が鎌倉彫の店を開いて、ようやく駅前商店街らしくなった。

 余談だが、番場定八の長男番場定孝は、私の鵠洋小学校1年と鵠沼中学校3年の時のクラスメイトである。彼は藤沢市議から神奈川県議になり、県会議長を務めた後リタイヤ。現在は《上村鵠生園》理事長を務めている。《鵠沼を語る会》の会員だから、親子二代の会員ということになる。
 また、福地誠一の長男福地一義は、私の鎌倉高校の後輩で、演劇部OBが結成した劇団《すずしろ》の仲間であった。彼は書店を姉に任せて飛び出し、永らく劇団《黒テント》で活動していたが、現在は劇団《ユビキタス・アジェンダ》に本拠を移したらしい。

本鵠沼駅前

 本鵠沼駅は主要な道路が交差する位置に設けられたが、周辺一帯は畑地の無人地帯だった。開設初期の店舗は、先ず原(はら)集落に向かう道筋にまばらに建てられた。開通の前年出店した万屋の《林屋》、不動産業の《相澤土地》を手始めに、《魚兼》本店(鮮魚販売)、《宮崎ランドリー》(洗濯)、《宮下理髪店》などである。駅前には1934(昭和9)年になってようやく《八百林商店》ができ、昭和二桁になると線路の東側にも店が点在するようになる。
 我が家は1936(昭和11)年に駅から真東に100m余りの砂丘中腹に建てられた八畳一間の別荘だったが、家から本鵠沼駅のホームまで遮るものがなく、大声を出せば会話が可能だったという。

 その辺の雰囲気は、第0222話で紹介した田中隆尚の『桃園譜』に見事に描かれている。その部分を再録すると、

 「驛から左に折れて東にむかふと商店街になつてゐたが、店舗はまばらの、空地のある閑散とした通りで、田舎道といつた方がよかつた。その通りがしばらくつづいて十字路に出ると、商店はそこで盡きて、その先はいづれの方向も畑か住宅になつてゐた。」

 1936(昭和11)年に《林屋》の筋向かいに転居してきた金田元彦元國學院大學文学部教授が『本鵠沼駅のこと』として書いておられるので引用しよう。

 「本鵠沼駅は、原っぱのまんなかにぽつんとたっていた。私の家が東京から引っ越して来たころは、降りる人も乗る人も、昼間は四〜五人あればいいほうだった。戦前だったか、戦争直後だったか忘れたが、ある年の二百十日の明くる日、六畳くらいの駅舎が、風で吹き飛ばされて、ゴロンとひっくりかえっていたことがあった。若い駅員が、呆然とたちつくしていた。
 今から考えてみると、ウソみたいだが、駅前に養鶏場があるだけで、いまある中村屋酒米店、河野材木店、番場自転車、八百広、八百林など、なにもなかった。
 駅の交番(が出来たのは昭和二十四年七月一日からである)もなかった。
 駅の周辺は、ほとんど麦畑だった。今の鵠沼中学校のあたりから南、鵠沼海岸の駅までは、ゆるやかな起伏の点在する広々としたながめだった。鵠洋小学校などは勿諭なかった、見渡す限りの麦畑と、その間に桃畑があった。雛祭りがすむと、美しい花が砂丘の起伏を彩り始め、三月のなかばには、ぼうぽうと、うす赤い花びらが、しばいの書き割りのように本鵠沼の風景に、田園風な美しさを書き加えるのが毎年のならいであった。」
小田急駅前商店街初期年表    
西暦 和暦 記                        事
1929 昭和 4 4 1 小田原急行鉄道江ノ島線開通。本鵠沼・鵠沼海岸駅開設。「直通」の停車駅となる
1929 昭和 4 田辺政吉、丸政料理店を鵠沼海岸駅前に開業
1930 昭和 5     虚x久屋(酒類販売)、 鵠沼海岸2-5-3に開業
1930 昭和 5 亀屋御菓子司(和菓子製造販売)、鵠沼海岸2-3-12に開業
1930 昭和 5 魚兼本店(鮮魚販売)、 本鵠沼2-20-15に開業
1931 昭和 6 宮崎ランドリー(洗濯)、本鵠沼2-15-9に開業
1932 昭和 7   鵠沼書店(書籍販売)、鵠沼海岸2-4-9に開業
1932 昭和 7     宮下理髪店(→理容ミヤシタ)、本鵠沼2-15-10に開業
1933 昭和 8     番場米店、鵠沼海岸駅前に開業
1934 昭和 9     渠ェ百林商店(青果販売)、本鵠沼2-14-10に開業
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 特集 鵠沼海岸商店街100年の歴史『鵠沼』第81号(2000)
  • 田中隆尚:『桃園譜』(1972)
  • 金田元彦:「本鵠沼駅のこと 〜私の鵠沼日記より〜 」『鵠沼』第77号(1998)
 
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